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インタビュー

チベットとの出会いから30余年。 池谷薫監督が燃え尽きる想いで世に放つ「ルンタ」

2015年09月18日

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単館系の映画には疎い自分だが、この映画には何か運命的なものを感じて勇んで劇場に足を運んだ。
「ルンタ」。ーー中国政府に対するチベット人の焼身抗議を軸に、チベットの現状、チベット人の心を描いた、池谷薫監督の渾身のドキュメンタリー映画だ。運命的と言ったのは、この映画の構想の発端にある。池谷さんは1984年にたまたまインド領のチベット文化圏、ラダックを訪れたことがきっかけでチベット問題を意識するようになったという。自分も84年ラダック組だ。これはお話を聞かずにはいられない。

「大学卒業後に入社した番組制作会社を数年で辞めて、若いうちに海外旅行しておこう、行くなら安くて長く行けるインドにしよう、くらいの軽い気持ちで日本を出たのが1984年の10月末のことです。ところが旅に出てわずか3日後にデリーで大暴動を目の当たりにしてしまい…。インディラ・ガンジー首相の暗殺に端を発したヒンズー教徒によるシーク教徒への襲撃です。」

暴動は次第にエスカートし、池谷さんの投宿先も放火される寸前までとなる。命からがらデリーを逃げ出した池谷さんがたまたま選んだ移動先が北インドのラダックだった。

「予備知識も準備もないままだったので、平均標高3500mのラダックへ向かう途中、車中泊を余儀なくされたときに風邪を引いてしまい、現地に着いたときには高山病で身動きできなくなってしまいました」

うずくまっている池谷さんをバスターミナルから自宅に運びこんだのは、ラダックのチベット系住民=ラダッキーの人々だ。ここで5日間に及ぶ手厚い看護を受けチベット人の心の温かさに感動したことがきっかけで、帰国後の池谷さんはチベットについて知ろうと努め、受難を含めた本土の歴史を一から学んだ。ここからチベットの真の姿を伝えるドキュメンタリーの構想が始まる。

しかし、日本のTV局に何度も企画を持ち込んでも通らない。日本のメディアではチベットのを扱うことはタブー視されていたからだ。企画が通ったのは天安門事件で中国の真実を報道する機運が高まった1989年のみ(TBSの「放送特集」でダライ・ラマ14世のノーベル平和賞受賞とチベット受難の歴史を伝える。当然チベット本土へは踏み入れていない)。その後も上っ面だけのチベット紀行番組制作の話こそあったが「真実の姿を伝えられないものは撮れない」と断り続け、池谷さんはもっぱら得意分野となった中国をテーマにしたTVドキュメンタリーを数多く作り続けることになる。一方で中国政府の弾圧によるチベットの状況は悪化の一途をたどった。

そして2002年、「延安の娘」で池谷さんはついに映画監督としてデビュー。2005年の映画2作目「蟻の兵隊」を経て、2008年3月の騒乱でさらにチベットの事態が悪化したのを契機に、いよいよ本格的なチベット取材に乗り出す。きっかけは89年の「報道特集」で亡命政府のあるインド・ダラムサラに赴いた時に出会った日本人の中原一博さんが、当地でチベットの実情を伝えるブログを始めたことだった。中原さんもまた、ラダック旅行がきっかけでチベットに魅せられ、ついにはダライ・ラマの信頼を得て、亡命政府庁舎などの設計を任されるに至った人物。89年の「報道特集」にも出演したし、映画「ルンタ」ではメインナビゲーターを務めることになる。

監督は最新情報を求めてインドに中原さんを訪ねるが、この時は亡命政府に近い「おたずねもの」の中原さんがチベット本土を旅して映画に出演するなど無理だと考えた。その後は2008年の11月を皮切りに2009年の春、夏、冬、2010年の春と、自身でチベット本土に入りシナリオハンティングする日々が続く。
 しかし同時期の2009年には「ルンタ」のテーマでもあるチベット人の焼身抗議が始まる。ダラムサラから発信される中原さんのブログからも焼身に関しての情報が逐一報じられるようになった。焼身抗議者の数が増える中で、ドキュメンタリーの構想は劇映画へと転換が迫られる。

「ドキュメンタリーだと取材に協力したチベット人が投獄される危険性があるんです。ならば劇映画にしようと。ヒマラヤを越えて亡命するチベット人の物語を映画化することにして、2011年の夏にはクランクインするつもりだったんです」

ところが今度は日本であの震災が起こる。資金繰りもリスクヘッジも困難になり、動きかけていたこの企画も残念ながら見送られることに。

「代わりというわけではないんですが、被災地のドキュメンタリーを作ってみては、という声に押されて映画3作目になる『先祖になる』を撮りました。しかし、同時期に中原さんがご家族とチベット本土を旅したことをブログで知って、これなら中原さんがチベットを旅するドキュメンタリーがやれる。やろう、とようやく心に決めたんです」

高いモチベーションでチベット・ドキュメンタリーに挑む池谷監督、同じくチベットを愛してやまない中原さん。運命の糸でつながった二人はほぼ四半世紀ぶりにタッグを組む。

「『先祖になる』の公開2日目に、たまたま日本に帰国中の中原さんが観に来てくれて、上映後の居酒屋で彼を口説きました。『次は中原さんでチベットをやる。焼身からは逃げないよ』って。そうしたら中原さんも二つ返事で『そう言われたら断る理由はない』って応えてくれて」

二人は、2013年の12月、2014年3月に、ダラムサラにて亡命チベット人たちの証言を中心に取材し、2014年夏にはついにチベット本土に足を踏み入れてロケを敢行。

「本土でのロケでは最後まで気が抜けませんでした。ひょんなことから公安と接触する羽目になってパスポートのコピーを取られましたから、ロケした素材はいつも隠し持って移動です。いざとなったらパクられる覚悟はありましたが、それでチベット人に迷惑がかかっては本末転倒ですし」

かくして2015年、「ルンタ」はついに完成する。ラダックでチベット人の心に触れてから30年以上の時を経て、池谷監督が本気で伝えたい形でのチベットのドキュメンタリーが世に出たのだ。

「結果的に、長いことサボってしまったという感覚です。映画を見たチベット人から『本当にいい映画をありがとう!』と言われるとすごく嬉しい反面、_今までできなくて申し訳なかった、という想いです。ぜひ多くの方に見ていただきチベットの心を知っていただきたい。
 それにしても、これまでは一作品作るごとに『次はチベット』と」言い続けていましたが、『ルンタ』を撮り終えた今、本当に撮りたいものが無い状態なんです。自分の中では大きな一区切りなんでしょうね」

チベットに関してはある程度知識があると思っていた筆者ですが、焼身行為の_真の意味合いなど、理解していないことだらけだったと思い知らされ、鑑賞後は反省しきり。
ネタバレになるので具体的な内容には多く触れませんが、チベットのことをよくわかっていないという人はもちろん、わかったつもりになっていた人も絶対に見るべき映画です。
非暴力、慈悲、利他がキーワード。

「ルンタ」全国順次公開中
上映情報は以下で
http://lung-ta.net/index.html

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池谷 薫 profile
1958年、東京生まれ。同志社大学卒業後、数多くのテレビ・ドキュメンタリーを演出する。初の劇場公開作品となった『延安の娘』(2002年)は、文化大革命に翻弄された父娘の再会を描き、ベルリン国際映画祭など世界30数カ国で絶賛され、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞、ワン・ワールド国際人権映画祭ヴァーツラフ・ハベル特別賞ほか多数受賞。2作目の『蟻の兵隊』(2005年)は中国残留日本兵の悲劇を描き、記録的なロングランヒットとなる。3作目の『先祖になる』(2012年)は、東日本大震災で息子を失った木こりの老人が家を再建するまでを追い、ベルリン国際映画祭エキュメニカル賞特別賞、香港国際映画祭ファイアーバード賞(グランプリ)、文化庁映画賞大賞、日本カトリック映画賞を受賞。2008年から2013年まで立教大学現代心理学部映像身体学科の特任教授を務め、卒業制作としてプロデュースした『ちづる』(2011年・赤崎正和監督)は全国規模の劇場公開を果たす。著書に『蟻の兵隊 日本兵2600人 山西省残留の真相』(2007年・新潮社)、『人間を撮る ドキュメンタリーがうまれる瞬間』(2008年・平凡社・日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など。

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